トロイの古代遺跡

  1998年登録 / 文化遺産

トロイの古代遺跡は、トルコ(アジア側)の北西端にある古代ギリシャの伝説で有名な都市遺跡。 遺跡はエーゲ海、ダーダネルス海峡からそれぞれ約6.5km内陸にある。

ホメロスの「イーリアス」にでてくるトロイアは長い間伝説上の都市とされてきたが、ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンは実在を信じ、1870年に自費で発掘を開始。ヒッサルリクとよばれる丘から古代都市の城壁や財宝を発見。

ヒッサルリクの丘には、9層の遺跡が重なっていた。1番下の第1市は初期の集落で小石と粘土でできた城壁があり、紀元前3000年ごろと推定される。
第2市には強固な城壁や宮殿、住居群を確認。第3、第4、第5市は紀元前2300〜紀元前2000年に滅んだ第2市につづく小規模な村である。 第6市は紀元前1900〜紀元前1300年ごろの遺構で、繁栄を極めた時代で、最も広い砦で大きな城壁と塔、城門、住居がある。 第7市Aは地震で壊滅した第6市を再建したもの。
第7市Bと第8市は簡単な住居のあるギリシャ人の集落でほぼ紀元前1100〜紀元前100年頃と判明。
第9市は紀元前100〜500年ごろでローマ支配下の都市遺跡となる。

シュリーマンは5層の遺跡を発見し、第2市をホメロスのトロイアであるとしたが、その後のデルプフェルトとブレーゲンの調査でトロイア戦争のときに焼失した遺跡は第7市Aと訂正された。

トロイの古代遺跡を発掘したシュリーマンは、実は発掘の専門家ではなく、彼の目的は財宝にあった。

そのため、発掘とは程遠い、かなり手荒な掘り方で作業を進めたため、遺跡は考古学的価値という概念において取り返しのつかないほどの損傷を受けてしまった。

また、シュリーマンはオスマン帝国政府との協定を無視し、勝手に出土品を国外に持ち出したり私蔵するなどしたため、多くの出土品がトルコから失われる結果となった。このため、トルコ国内でのシュリーマンは発掘者というより「遺跡荒らしの盗掘者」という認識が強い。
しかし、シュリーマンの発掘による功績は考古学上大きいことは事実である。