古代都市テーベとその墓地遺跡

  1979年登録 / 文化遺産

テーベとは、古代エジプトの都市名で、現在のルクソールを中心にナイル川両岸に広がっていた。
旧約聖書ではノ・アモン(アメン神の町)と呼ばれている。テーベと名づけたのはギリシャ人で、ディオスポリス(天国の町)とも呼んだ。町は先史時代に築かれたが、記録に初めて現れるのは古王国時代(紀元前2755〜紀元前2255)からである。

ナイル川西岸にあるネクロポリス(死者の町)からは、古王国時代末の第6王朝時代(前2407〜前2255)の王の墓が見つかっている。
聖書の呼び名が示しているように、この町の守護神アメンはもともと再生を司る神で、後には神々の父アメン・ラーと呼ばれた。テーベのカルナックにあるアメン神殿はエジプト最大の神殿遺跡である。

第9・10王朝の時代(紀元前2230〜紀元前2035)にテーベは行政上の中心となり、紀元前2035年ごろにはテーベの長官がエジプト全土を支配した。

こうして中王国時代にはテーベ王朝が誕生し、テーベはエジプトの首都となり、大神殿や、スフィンクスの並ぶ参道、豪華な墓などはこの時代のものである。
しかし、紀元前332年第31王朝の崩壊後は衰え、前1世紀末、ローマ人によって破壊される。

王家の谷には、ラメセス2世の時代(前1279〜前1212)に建てられた神殿ラメセウムや、ラメセス3世とハトシェプスト女王の葬祭殿が今も残っている。