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古代都市パレンケと国立公園

  1987年登録 / 文化遺産

パレンケは、メキシコのマヤ文化古典期後期の7〜8世紀ごろに繁栄したマヤ文明の古代都市遺跡
ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、現在のパレンケ村近郊に位置するため、この名がつけられた。

パレンケの古代都市は、うっそうとした熱帯雨林に埋没していたために忘れ去られていたが、18世紀の半ば頃にスペイン人により発見。本格的な発掘調査が始まったのが1948年である。
この調査で1952年6月15日、メキシコの考古学者が『碑文の神殿』の地下室にたどり着き、室内の壁面にはめ込まれていた巨大な石板を取り外したところ、広い洞窟のような部屋を発見。そこには殉死者と見られる数体の遺体に加え、肖像画やマヤ文字、また生命樹の図柄の浮彫が施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、数多の装飾品を脇にした遺体が内部に発見された。埋葬された男性はモザイク作りのヒスイの仮面をかぶり、全身は豪華な硬玉の装身具で覆われていた。アメリカの研究者たちによって碑文の解読が進められた結果、ヒスイの仮面をまとったこの遺体は、7世紀に在位したパカル王(在位615年〜683年)とされているが、この見方にはいくつかの疑問の声も聞かれる。この発見は、中央アメリカのピラミッドがエジプトのピラミッドとは違うという定説、つまり王の墓ではなく神殿の土台であるとの定説を覆し、当時の考古学界に大きな衝撃を与えるものであった。

パレンケを代表する建物は「碑銘の神殿」をはじめとするいくつかの神殿や宮殿である。
碑銘の神殿は、パカル王の子である、チャン・バアルム王が神殿を建造したことがわかっており、この遺跡からは地下水路なども発見されている。

太陽の神殿は、古都パレンケの建築物の中で最も完成度が高く、正面の柱廊、傾斜した屋根、その上の屋根飾りがバランスよく作られ、石造の神殿はピラミッドの上にたてられ、マヤ式アーチによる二重勾配(こうばい)の屋根を持つ。建物の壁には浮彫で人物像や象形文字による碑銘が描かれており、この都市に君臨した王家の歴史を伝える。

宮殿は、パレンケ遺跡の中心部にあり、王や貴族のような身分の高い人の住まいであったと考えられていることから「宮殿」と名付けられている。

宮殿の最大の特徴は、マヤ建築でも他に例のない高さ15mの4階建ての塔である。塔の壁面は東西南北を指していることから、天体観測に利用されたと推定され、「天体観測塔」と呼ばれ、塔の踊り場のひとつには金星を表す絵文字が残されている。また、この建物は7世紀に建てられた後、何度か増築されているため全体の構造は複雑化。宮殿内には深さ3mの水路が引かれ、水洗トイレやスティームバスの跡も残されている。