ロードス島の中世都市

  1988年登録 / 文化遺産

ロードス島は古代エーゲ文明において重要な位置にあったことが考古学上で確認されており、歴史の舞台に登場したのは紀元前10世紀である。

紀元前3〜紀元前2世紀にロードス島は絶頂期を迎え、文化の発展でも広く知れわたり、とりわけ造形・絵画美術の分野としてプロトゲネスの絵画、世界七不思議のひとつに数えられるアポロンの巨像(紀元前280年)の制作者カレスの作品など、多くの傑作が生まれた。 太陽神ヘリオスをかたどった高さ30mのアポロン青銅像はロドス港の守護神だったが、55年後に破壊されてしまう。

紀元前1世紀、ロードスはローマと同盟を結び、紀元前48年、ローマの軍事司令官ポンペイウスならびローマ元老院に敵対していたカエサルを支援した。
紀元前42年にはカエサルの暗殺首謀者のひとり、ローマの軍事司令官カッシウスがロードス島を侵略。カエサルの友人を虐殺し、国家財産を奪い、いくつもの神殿を破壊した。この攻撃でロードスは力を失ったが、文化の名声はその後も長く維持されることになる。

1309年からエルサレムの聖ヨハネ騎士団の支配下に入り、1522年のスレイマン1世による激しい包囲攻撃で騎士団は撤退。オスマン帝国の領土となる。

この支配はトルコ・イタリア戦争(1912)まで続くが、戦後イタリア領に編入され、第2次世界大戦後の1947年にギリシャ領となった。

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