メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコ

  1987年登録 / 文化遺産

メキシコ・シティは、メキシコの首都で同国最大の都市。行政上は連邦政庁が置かれるメキシコ連邦直轄区である。同国南部の中央、アナワク高原の標高約2300mに位置し、三方を3000m級の山々に囲まれる。

市街の中心部はソカロとよばれる憲法広場で、かつてアステカ王国の首都テノチティトランの中央広場があった場所である。 周囲には重厚なバロック様式やゴシック様式などを取り入れたカテドラル(大聖堂)がそびえ立つ。
ラテンアメリカ有数の宗教建造物で1573年に着工し、多くの歳月をかけて完成した。カテドラルの土台などはテノチティトランの石材をつかって築かれたといわれる。

メインストリートであるレフォルマ大通りを北東へ向かうと三文化広場があり、アステカ時代やスペイン植民地時代、近代の歴史的建造物が一堂に集まっており、南西へ向かうとチャプルテペク公園が広がり、博物館・美術館・動物園のほか、旧大統領官邸のチャプルテペク城などがある。

市内には近代美術館や国立歴史博物館など博物館・美術館も多く、人目をひく設計の国立人類学博物館はスペイン植民地時代以前の工芸品収集で有名。
そのほか国立芸術院宮殿でのバレエ・フォルクロリコの舞台、巡礼者たちが列をつくるグアダルーペ寺院などもメキシコ文化を知るための重要な観光ポイントだ。

アステカ文化の歴史資料によれば、北からきたアステカ人の一集団が1325年にテスココ湖内の島に定住して都市を建設した。都市はテノチティトランと呼ばれ、25万人以上もの人口を有するまでに発展、16世紀には広大なアステカ王国の首都となっていた。

スペイン人探検家コルテスは1519年に訪れ、1521年にはコルテス軍が占領、アステカの壮麗な首都を破壊し、その廃墟の上に自分たちの町を建設する。
町の拡大にともないテスココ湖は埋め立てられ、建物はスペイン建築様式で再建された。
ここを拠点としたスペインの遠征隊は、北は現在のアメリカ南部へ、南は中米へと探検をおこない、先住民を征服していく。
こうしてメキシコシティは1535年、コスタリカ以北を支配するヌエバエスパニャ副王領の首都となった。

スペインによる植民地統治は約300年に渡ったが、1821年に革命軍の一団にスペイン軍が敗北し、一団を率いたイトゥルビデは翌年に皇帝と称した。
アメリカ・メキシコ戦争中の1847年にはアメリカ軍が市に侵攻、占拠は5カ月に渡った。1863年にはフランスの武力干渉によって市が占領され、オーストリア大公マクシミリアンを皇帝とするフランス軍の支配下に入ったが、1867年にフランス軍が敗れフアレス大統領が市を掌握し、1910年からのメキシコ革命の動乱時には市街戦の場となる。
1985年にはマグニチュード8.1の大地震がおこり、約3万人が住居をうしない、数千人が死亡する大惨事となった。