パルミラは、ダマスカスの北東約215km、シリア砂漠のナツメヤシが広がるオアシスに位置し、紀元前1世紀末、シルクロードの中継地として発展した、ローマ帝国支配時の商業都市遺跡。
伝説によれば、イスラエル王国のソロモン王によって建設されたという。
ナツメヤシの産地としても知られ、砂漠を横断する隊商路のオアシスだったことから、前1世紀ごろにはシルクロードの交易中継拠点となって栄え、その強力な弓兵隊は隊商路を警備する役目もはたした。
2世紀になると、ペトラを都とするナバテア王国がローマ帝国に征服され、パルミラが通商権を引き継ぐことになる。更に、129年、ローマ皇帝ハドリアヌスは巡察旅行の途中にパルミラを訪れ、その魅力に惹かれたハドリアヌスはパルミラに自由都市の資格を与え、絶頂期を迎えた。
パルミラ王国 (260年? - 273年)の成立後、ローマ帝国の東方属州を統括していたオダエナトゥスとゼノビアが結婚。270年頃に君臨したゼノビア女王の時代にはエジプトの一部も支配下に置くまでに繁栄。ローマ皇帝から東方領の行政総監督官の地位を与えられた。
その後、ローマ帝国の迷走を境に、ゼノビアは、息子をパルミラの王としてローマ帝国からの独立を宣言。
しかし、ローマ皇帝アウレリアヌスは、当時分裂状態にあった帝国の再統一を目指してパルミラに降伏を勧告したが、272年にゼノビアはローマ帝国に対抗する姿勢を見せるが、同年、アウレリアヌスはパルミラに攻撃を開始。273年にパルミラは陥落し廃墟と化した。
現在のパルミラには、ローマ様式の建造物が多数残されており、3世紀ごろ作られたバアル神殿、ローマ式の円形劇場や公共浴場、四面門、列柱道路が代表的な建造物。
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