アテネのアクロポリス

  1987年登録 / 文化遺産

アクロポリスとは、古代ギリシャ語で「高い丘の上の都市」という意味があるが、アテネのアクロポリスでは「神殿が建てられた聖域」と言う意味あいも持っている。

アクロポリスは要塞としての役割よりも、神殿や公共建築物が集まる宗教や政治の中心地として使用された。
古代アテネのアクロポリスは標高約150mの石灰岩の丘にあり、遺跡は古典期ギリシャ建築の中で最も評価されている。ドリス式のパルテノン、西端の大理石でつくられた楼門プロピュライア、エレクテイオン、ニケ神殿、ディオニュソス劇場は世界的に名高い。

パルテノン神殿は、アテネの守護神アテナ女神の聖域として、紀元前447〜438年に完成。

しかし、紀元前480年のクセルクセス1世による遠征で、それまでの神殿が略奪・破壊に遭ったため、紀元前432年頃に再建。

パルテノンにおいて彫刻の多くは神殿のファサードを飾り、中でも巨大なアテナ像はその威厳を象徴する。アテナ像は台座を加えて約15mあり、顔面・腕・足は象牙製、目には象牙と輝石、衣服や冑、槍、巨大な盾などすべて金でできており、右手には勝利の女神ニケ像を載せていた。
台座にはパンドラの誕生を記した彫刻と、水面に反射した光が神秘的な空間を創っている。この彫像の痕跡はおしくも失われているが、文字による記録は数多く残されている。

パルテノン神殿は17世紀まで原型を留めていたが、1687年にヴェネツィア軍の砲撃が神殿の火薬庫に命中、大破してしまう。 後にアクロポリスの建造物は破棄され、荒廃したままになっていたが1833年、ギリシャに王政が樹立されてから徐々に修復が進んでいる。