モヘンジョダロは、パキスタン南部のカラチから北へ約300km、ラールカナの南部にあるインダス文明最大にして最古の都市遺跡。
紀元前2500年から紀元前1500年にかけて繁栄したと考えられており、洪水がもたらす肥沃な土と水によって、遠くメソポタミアの都市とも交易を行うまでに繁栄を築いた。人口は最大で4万人程が生活していたと推測されている。
モヘンジョダロは、東西南北にレンガで敷き詰められた直線道路が伸び、優れた水利システムを完備。道路にそって延びる精巧な排水や下水設備も確認できる。また、建材には規格化された品質の高い焼きレンガを駆使して作られた穀物倉庫、沐浴場、二階建ての住宅、井戸などレンガ作りの大規模な構造物が並ぶ。しかも緻密に計画されて配置されている。
城塞と呼ばれる西の小高い基壇になっている地区は、東の市街地区より規模がかなり小さい。ここは城壁で囲まれており、大きな公的建物群がある。これらの建物は穀物倉・会堂・大沐浴場などと考えられており、市街地区には住宅や仕事場といった建物群が緻密に区画されている。
4000年前の町とは思えないその高度な都市システムから、インダス文明が大変高度な文明であったことが伺えるが、その後忽然と滅亡したと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。近年の研究では大規模な洪水によって一気に衰退したと考えられている。
ちなみに、インダス文明を築いた民族はいまだ特定されていないなど、謎の多い文明である。
モヘンジョダロの遺跡群が発見されたのは1922年、インド人考古学者 R.D.バネルジーが発見して以来、20年代のうちにイギリスの考古学者マーシャルらが大規模な発掘をした。現在まで都市の範囲が80ヘクタール以上、城塞地区と市街地区にわかれていることが判明している。両地区から石製や青銅製の彫像、特異な三角形小陶板、さらに1000をこえる凍石製の印章など数多くの遺物が出土した。
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