コルドバ歴史地区

  1984年登録 / 文化遺産

コルドバはアンダルシアの中央、グアダルキビル川の沿岸に位置し、古代ローマ人が街づくりを始めたことに始まる。

コルドバを決定づけたのは711年に北アフリカからこの地に渡ってきたモーロ人、つまりイスラム教徒の人々がこの町を支配してからのことで、その際、様々な文化が持ち込まれた。そして756年に成立したウマイヤ朝はコルドバを首都に定める。
特にコルドバが最盛期を迎えたのが10世紀、時の権力者 アブデラマン3世の時代になる。

その当時は西のメッカとも呼ばれ、北アフリカのイスラム教国の中心にまで発展を遂げており、当時の人口は100万人、モスクの数は300を数え、王立図書館の蔵書は60万冊。ちなみに現在のこの町の人口は、当時の1/3にも満たない31万人であることから、当時の繁栄ぶりが伺える。

そのコルドバの中心として機能していたのがメスキータである。

メスキータはアブデラマン1世が、756年にコルドバを首都とする王国を作り、コルドバを西方のメッカとする目的でバクダットのモスクを凌ぐモスクの建造を命じたことに始まる。

その後、785年から10年をかけて基礎を築き、その後3人の王によって増築が繰り返され、2万5千人が1度にお祈りできる巨大なモスクとなった。

1236年6月29日、レコンキスタを推し進めるカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは征服され、この町からイスラム教徒が去っていくと、この町の宗教的な意味合いを失い、衰退していく。その後、メスキータもカトリック教会に改装された。